劇場文化

2020年11月12日

【妖怪の国の与太郎】生まれなおす友情(平野暁人)

 翻訳家の世界には、「共訳は友情の墓場」という格言がある。
 と、断言してしまっていいのかどうかはわからないけれど、僕は幼ないころから折に触れてそう聞かされてきた。なかんずく文芸翻訳には範例も唯一解もなく、翻訳家の数だけ異なった哲学がある以上、協力してひとつの作品を訳そうとすれば必ず衝突が起こり、ときに深刻な対立へと発展して深い禍根を残すことすらある。どんなに気心の知れた大切な友人であっても、否、大切な友人であればこそ共訳者に選んではいけない……呪詛のようなこの言葉を僕は、自らが翻訳を生業にするようになってからはいよいよ家訓のごとく心得て守り抜いている。けだし、訓示とは得てして呪詛の残滓に他ならないのかもしれない。
 さてそこで、ロレンゾ・マラゲラである。
 本作で共同演出の一翼を担うロレンゾは2012年以降、ジャンとのコンビで定期的に作品を発表し、今回で五回目を数える。なかなかにハイペースな仕事ぶりだが、仮に演出家の営みを「他者の手になるテクストを自分というフィルターを通して世界に提示すること」だと定義すれば、そこには少なからず翻訳家との共通点もみてとれる。にも拘らず二人の関係がいまなお「墓場」へ行き着いていないのは驚異的と言ってもよいのではないか。
 一見すると、二人は静と動のようでもある。四六時中熱っぽく語り続けるジャンにひたすら相槌を打つロレンゾ。実にイメージ通りのスイス人っぷりだ。ところが、稽古場でのロレンゾはジャンに些かも遠慮しない。それどころか実はロレンゾの方がはるかに気が短く、通訳していても気を遣う。そしてお互いにどんどんアイディアを出し合い議論しながらも決して険悪にならない。ジャンは作家出身、ロレンゾは俳優出身という背景も関係しているだろう。同じ哲学を共有しつつ、前者が巨視的に作品全体を眺めるのに対して後者は微視的にシーンを追求する。「ロレンゾは僕の詩情に狂気を盛り込む役なんだ」とジャンは言う。
 もうひとつの鍵は、おそらく出会いのタイミングにある。2012年といえばジャンが俳優に本格復帰を決めた年であり、今まで二人が共同演出を手掛けてきた作品はほとんどがジャンの出演作。自身も出演する作品を演出するという誰にとっても難易度の高いミッションにあって、ジャンが文字通り「背中を預けた」のがロレンゾだったのである。
 ふたりの友情は創作と錯綜の場にあって今日も生まれなおしている。

【筆者プロフィール】
平野暁人 HIRANO Akihito
翻訳家。戯曲から精神分析、ノンフィクションまで幅広く手がける。訳書に、エドガー・フォイヒトヴァンガー『隣人ヒトラー』(岩波書店)、カトリーヌ・オディベール『「ひとりではいられない」症候群』(講談社)他。『妖怪の国の与太郎』の翻訳と通訳を担当、ドラマトゥルギーに参加。現在、ENGLISH JOURNAL ONLINEにてコラム「舞台芸術翻訳・通訳の世界」を連載中。